モーツァルトを十字架の下で on 23.Nov
☆2010年11月23日、祝日の夜、
ルーテル市ヶ谷の十字架がかかる教会のホールでは、
コンサートが開催されていました。
Photo:Tatsuo Kiryu
ルソール合奏団の第45回の演奏会。
私は、個人的にとても想いで深い11月23日に
モーツァルトの「踊れ喜べ、幸なる魂よ」を
全曲演奏させていただきました。
Photo:Tatsuo Kiryu
クサイかも知れませんが、
これは、私の魂にとって、とても幸いなことでした。
有名な曲ではありますが、全曲をオーケストラと共に
演奏する機会は少ない曲☆憧れだった曲でした。
ルソール合奏団、そして、私を大抜擢して下さった
幸松肇先生にも、とても感謝しなければいけないな、
・・・って心から思っています。
45年間も続けていくって、とてつもない根気と熱意が
必要なのだろうなぁ。声楽とのコラボレーションは
45年目にして初めてとか♪なんて嬉しいのでしょう!!
Photo:Tatsuo Kiryu
「踊れ喜べ、幸いなる魂よ」by W.A.Mozart
人の魂。生と死に出逢いながら生きていく私たちは、
たぶん誰もが、死、肉体、そして魂のことを
考えたことがあるのだろうなぁ、と思います。
Photo:Tatsuo Kryu
今日はいつもとはちょこっと違って、
私の個人的な想いでを書いてしまおうと思います。
とりたてて書く内容ではなくて、
誰もが体験しうる大切な人の死の体験話です。
皆さん、長くて疲れてしまうかも知れません;;
最初に謝っちゃいます!ごめんなさいっ☆笑
11月23日は、私の大好きだった祖父のお誕生日でした。
祖父が亡くなったのはすでに10年以上前のこと・・・
時が経つのは早いものですね☆
祖父が亡くなってから今日まで、
私は一日も祖父のことを思い出さなかった日は
なかったと思います。
祖父は16歳で東京に出て働き、
田舎の弟たちのために仕送りをしてあげていました。
そして、大田区の町に工場を作りました。
鉄工場。幼いころから祖父と一緒に住んでいた私は、
祖父の工場によく遊びに行きました。
祖父は、従業員の人と共に、腰を曲げ、
ものすごい熱さの窯の前で作業をしていました。
鉄の形が変化していく様子を見て、
感動したのを覚えています。
祖父はものすごく素朴な人でした。
祖父は、私をとても可愛がってくれました。
きっと孫って、自分の子どもとはまた違う、
可愛い存在なのでしょうね♪
よく祖父のお布団にもぐりこんでは、
いびきが大きくて、"眠れないよー"と思いながらも
翌日もまた祖父のお布団にもぐりこむ
・・・完全なおじいちゃんっ娘ですね。
その祖父が、脳梗塞になりました。
小学校3年生の夏、ものすごい痙攣が祖父を襲いました。
最初珍しく「腕が痛い」というので、さすってあげていると、
祖父は「どうしたか、初恵ちゃん腕が痛い痛い」といいました。
そして直後、腕がもげてしまうのではないかという位に
ひどく痙攣し、泡を吹き倒れました。
母は祖父が舌を噛まないよう、
私にスプーンを持ってくるように言い、
そして私は初めて救急車を呼びました。
「早く来て!!」と泣いたことを良く覚えています。
救急車が来たころ、
祖父の痙攣は少しだけ収まっていました。
救急車で搬送されるとき、付き添う母の隣で
私に懸命に微笑みながら手を振った祖父を覚えています。
あとになって思ってみれば、
その日、「初恵ちゃん痛いよ」そう言った祖父の言葉が、
思った言葉を伝えられる状態の祖父の最後でした。
その日から10年以上、「一日一日」「なんだろなぁ」
という言葉が、祖父が話せる言葉になりました。
右手もマヒをして使えなくなりました。
リハビリもいっぱいして、いっぱい原語カードも聴いて、
毎日、新聞には文字の練習がびっしりされていました。
病気をしても、努力家な祖父はすごかった。
祖父は、何故か胆のう癌でなくなりました。
胆のう、膵臓付近の癌は、見つかりにくいそうですね。
中学3年生の秋、祖父は亡くなりました。
私は祖父が亡くなったあと、
祖父が癌だったことを知らされました。
両親は、私が悲しむ姿を見て、
祖父が辛くならないようにって、願ったのでしょうね☆
私は悲しいことに、
祖父の最期を見ることができませんでした。
でも、それでよかったのかも知れません・・・
私が悲しんで泣いたら、
祖父はもっと辛かったかも知れない。
私が学校から祖父のいた病院に駆けつけている時、
祖父は生と死の間で闘ってくれていました。
看護士さんや両親が
「初恵ちゃんがもうすぐ来ますよ、頑張って」というと、
呼吸が無くなっても、また息を吹き返す・・・
そんなことが、10回以上も繰り返されたそうです。
私が着いた時、おじいちゃんは息を引き取っていました。
誰を恨んだらいいのでしょう・・・ 泣いて叫んでいると、
母がこう言いました。
「病院はおじいちゃんみたいに具合の悪い人が
いっぱい入院しているんだよ。だから頑張りなさい。」
・・・ 重い言葉でした。
祖父のお骨は、とてつもなく丈夫で、
大きくて骨壺に入りきりませんでした。
祖父は、あんなにも脳梗塞で苦しんだのに、
なぜ癌で死ななければならなかったのか ・・・。
あんなに好きな人の死に間に合わないなんて、
何か悪いことをしたのだろうか・・・
神様はいるの?? ・・・わからなくなりました。
日を追うごとに痩せていった祖父の写真を見るたび、
思い出すたび、辛くなりました。
そして、たくさんの後悔が襲いました。
生きている祖父に、もっとしてあげられることが
あったんじゃないかなって。
もし亡くなることがわかっていたら
もっと優しくしてあげられたんじゃないかな・・・。
そんなことばかり考えていました。
私は今でも、
時にその後悔を引きずっているような気がします。
友人には、親御さんを亡くされている方もいっぱいいます。
きっと彼らは、私など比べ物にならないほどに
考えて考えて考えすぎた日々を
乗り越えたのだろうといつも思います。
神様はいるのでしょうか?
魂はあるのでしょうか?
肉体だけ?すべては脳が指令を送っているの?
・・・ もしかしたら、違う、そうどこかで信じています。
11月23日、私は魂と神様を賛美する音楽を、
教会で演奏させていただきました☆
祖父の魂を、大切な人たちの魂を、
この世に生を受けた全ての人の魂を、
音楽で賛美しながら♪
演奏は、もちろんプロな立場で
頑張らせていただいたのだけれど、
個人的にはおじいちゃんにも
ちょこっとだけ恩返しができたかな…、できたらいいな、
ナンテ、考えていました。
とりとめのないお話をしてしまいましたね。
けれど、私が歌う原点は、
歌を歌う時の私の祈りは、
こんな人生の数ページが刻み込まれて
生まれているような気がしています。
祖父は今どうしているのでしょうね・・・
コンサートには絶対来てくれているはずなのだけれど…☆ミ
(注*ホラー映画ではありませんっ!!!)
今まで応援してくれたすべての方々、
私が人生で演奏したかった音楽に巡り合わせて
下さってありがとう☆
"ルソール合奏団"の皆様、
当日お手伝いに来て下さったプラネットワイの池山さん、
いつも一番に応援して下さっている桐生達夫さん、
家族のみんなにも心からの感謝をこめまして・・・☆ミ
(2010年12月24日) | Twitterでつぶやく |
コメント一覧
お祖父様のお話初めて聞かせていただきました。
優しい初惠さんのお祖父様を想うお気持ちが演奏の祈りを支えることになっているのですね。
初惠さん>
神様はいるのでしょうか?
魂はあるのでしょうか?
肉体だけ?すべては脳が指令を送っているの?
・・・ もしかしたら、違う、そうどこかで信じています。
私も魂の存在を信じています。
(というか、ちょっとオカルトだけどかなりリアルに認識できるときがあります。)
だから、今その想いを演奏で昇華させていることはお祖父様もよくわかってくれて、とても喜ばれていることだと思いますよ!
素晴らしい演奏。
これからも期待しています。
いつもながら、全ての演奏会に行けないのがものすごく残念なのですが、そんなときはyoutubeという便利なものが。。
雰囲気のかけらだけでも味わうことができて幸せです。
未来中年さん、こんにちは☆
心が温かくなるコメントを
ありがとうございました。
とても嬉しかったです。
そうですね、魂は、きっとあって、
祖父がいつも近くにいてくれているような
そんな気がします。
でも同時に、生まれ変わっていてほしい
・・・そんな想いもあったりして、
なんだか複雑です。笑
未来中年さん、
今年も一年、音楽いっぱいの、
素敵な一年にしたいですね!
今年もどうぞよろしくお願いします♪
hanya