ホルン笠原慶昌リサイタルに出演♫
11月15日(日)、幸運にも柔らかい陽射しに恵まれた秋の午後☆
ホルン奏者・笠原慶昌さんの第4回目のリサイタルにて
ゲストとして演奏させていただきました。
ホール"Sonorium" (永福町の住宅街に佇む素敵なホールでした)
ホルンとの歌曲の数々。 初めての経験。
なかなか演奏することのない音楽や作曲家に出会い、
練習を重ねるうちに、私は今回演奏した作品がとても好きになりました♪
未知の音楽を教えてくださり、扉を開けてくださったこと、笠原さんに感謝です。
ピアニストは松山玲奈さん♪
美しい音色と繊細な音楽と共に、時に男性的な力強さも表現される
素敵なピアニストでした。 お陰さまで安心して演奏させていただくことができました。
Photo:Akira Takenami
アンコール「Chocolate kisses(お菓子が好きな女の子の歌です)」
前半で私が演奏させていただいたのは
L.シュポア作曲「何が狩人を森へ駆り立てる」、
ベルリオーズ作曲「ブルターニュの若い牧童」 の2曲でした。
ドイツ音楽とフランス音楽、それぞれが異なる性質の音楽でしたが、
一曲目のシュポアでは、その色彩がとても美しく、ホルンの音色は、
男性的な狩人や自然の情景、愛を悠々とした響きで描かれていました。
ベルリオーズでは、牧場ののんびりとした情景と、ピュアな恋心が4番に亘る詩
によって表現されていました。最後の4番では、「ホルンはピアノと違う部屋で演奏する」
との作曲者の指示により、笠原さんは扉の外で演奏されていました☆
ここからは ...
後半に私が演奏させていただいたCooke(クック)の"Nocturne"トークに入ります☆
独り言チャンネルに突入するため、語尾は"決然とモード"で書かせていただきますね♬
ぶっきらぼうな独り言になりますが、どうぞお許しくださりませ☆ミ
* * *
ノクターンとは、日本語にすると夜想曲。皆さまよくご存じのショパンのピアノ曲
「ノクターン(夜想曲)」とは色彩が大きく異なる"夜想曲"に出会った。
夜、夕暮れ、蒼白く光る月の不気味さ、夜の闇 ...
5篇の詩によって描かれたノクターンは、不思議なエネルギーを持っていた。
当日のコンサートプログラムには詩人について触れられていなかった。
私もこの"歌曲"を作り上げている5人の詩人については無知である。
けれど、歌い手として想うことは、歌曲は詩がなくては作られないということ♬
「詩」の存在が欠かせないのだ。
だれが書いたのか、音楽に詩がつけられたのか、詩に音楽がつけられたのか、
それは、音楽にずいぶん違う色を与えるように感じている。
そこで、私が調べられる範囲で見つけた詩人(作家)のほんのわずかな情報も
交えながら書いてみようと思う。
第1篇の詩は、「月」。
パーシー・B・シェリー(Percy. B. Shelley :1792~1822)が書いた作品だ。
月の妖艶さ、不気味さ、夜の香りを感じさせてくれる不思議な響きの音楽。
「姿を変え続ける月」にたとえて、普遍的でないものの儚さ、哀しさを歌っているようにも感じる。
初めてこの曲に出会ったとき、難しさに不安を感じた。
この「ノクターン」の中のいくつかの曲は、無調ではないが、ピアノと音がぶつかる。
けれども練習するうち、私はこれらの曲に堪らない魅力を感じるようになった。
シェリーの詩は「月」で初めて読んだ私だが、"Music"という哀しいが美しい詩を見つけた☆
【音楽は、やさしい声がたとえ涸れてしまっても、記憶の中で響いている。
香りは、馨しいスミレがしぼんでしまっても、活気づいた心の中で生きている。
バラの花びらは、たとえバラが枯れてしまっても、重ね合わせて愛しい人のベッドになる。
そう、だから君への想いは、たとえアートが消えてしまっても、
愛そのものが、私の中に宿り続けるだろう、と。】 訳/初恵
第2篇では、夜=死 という題材により描かれている。
深く暗い響きと、闇の中に潜む不穏な歓喜と闇からの甘い誘い(いざない)を歌う。
音楽的には特別な難しさこそないが、ピアノとホルン、歌のコントラストが
絶妙な"色"を表現していた。
この詩の作者はIssac Rosenberg(アイザック・ローゼンバーグ)。
イギリスの詩人だが、ロシアに生まれたようだ。
第1次世界大戦では、病気を患っていたにも関わらず陸軍に務め、27歳の若さで死亡。
第1次世界大戦中の最中における最も優れた詩人と呼ぶ人も多いようだ。
第3篇の詩は「川辺の薔薇」。イギリスのD.H.ローレンスの作品だ。
労働者階級に育ち、苦学しながらもノッティンガム大学で教員の資格を取得。
性を大胆に描写し、近代文明が人間生活にもたらす悪影響を主題としているものが多いようだ。
『チャタレイ夫人の恋人』では,物質文明により侵食された人間性を〈性の優しさ〉により回復しよう
というロレンスの思想の集大成ともいうべき傑作だったようだが、
赤裸々な性的描写のため発禁処分を受けたほど。当時の英国ならば仕方ないのかも知れない。
「川辺の薔薇」にも、ロマンチックでどこか妖艶な雰囲気があった。
イザール川のほとり、黄昏時に咲く川辺の薔薇をみつける。深紅の薔薇だ。
川の果てを覆うのは、夕べを満たす氷河の響きと薔薇の香り。。。
そして、"我ら" は囁く。
「誰も我らを知らな。蛇の定めるままに任せよう。この煮えたぎる沼地では...」
音楽は美しく、けれど不穏な和音を奏でている。
じっとりとした沼に足をとられてしまいそうで。。。歌っていてなにか怖くなった。。。
第4篇は「ふくろう(梟)」。ホルンが夜の中でホーホーと啼くふくろうをイメージさせる。
急かされるような音楽のなかで日常の情景が歌われ、突如ふくろうが登場。
「ひとり、その五つの智慧を温めている白いふくろうが、鐘楼に佇んでいる」 と告げる。
Photo:Dima from my Russian friend
詩はロマン派詩人のテニソンによる作品だ。
「進化論的科学思想と、宗教とのモラルの間に生まれる懐疑と不安」
を表現したと書かれていた。
これは音楽家になってからだろうか、なる前からだろうか、難しい言葉はわからないが、
私も考えてきたこと、考えていくことなのかな、と感じている部分だ。
懐疑、不安、と共に存在する決して知り得ることのできない世界への憧れ。
そして、それを追求することによって何が生まれるのか ...
ふと、追求すべきでないのかも知れない、 とさえ想う。
第5篇 「舟歌(BOAT SONG)」 は美しい曲だった。
詩もとても美しい。詩に寄り添うようにつけられた音楽にCookeはすごいな、と思う。
「時から長く遅れた私たちを乗せたボートが旅立つ」
そのボートや水面のゆらめきを音楽が静かに美しく映し出す。
そして、彼らは祈るのだ。
「私たちを守りたまえ、テティスの精よ。
宝の船が深く夜の闇へと進み、まだ見ぬ未知なる地へと目指すことを -」
詩はスコットランドのジョン・デイヴィッドソン。
牧師の父に生まれ、工業都市と港町で育った彼にとって、
キリスト教との確執、荒廃の都市と虐げられた労働者の生活は生涯のテーマとなっ た。
* * *
長々とノクターンのことについて書いてしまいました♪
読んでくださっている皆さま、お疲れのことと思いますが、
まだまだプログラム後半は続きます。
後半最後の私の演奏曲の前に、ホルンとピアノで
H.ビュッセル作「聖ユーベルの狩」の演奏がありました。
技巧的にも表現も難しい曲という印象を受けましたが、
繊細さとダイナミックな激しさを持ったとても印象的な曲でした。
Photo:Tatsuo Kiryu
最後の曲はA.サルゴン作曲/St.Vincent Millay作詩
二つの曲からなる「狩人よ、獲物はなんだ?」 を演奏しました。
一つは、森の中で狩人に撃たれ死を迎えようとしている牡鹿を見つめながら
猟の残酷さや生命の重みが冬の情景の中にずっしりと描かれた深く重い作品でした。
もう一つは、 狐撃ちに森へ入った漁師。彼に惹かれ誘う娘と、狐。
私にとっては関心の薄いテーマではありますが(笑)、
猟師(男性)の"狩"への本能をテーマに、音楽がまるで絵本を読んでいるかのように
鮮やかに描かれていました。
今回のリサイタルでは、アンコールでも演奏に参加させていただきました。
その名も【Chocolate Kisses】 ♬ お菓子が大好きな女の子の歌です。
聴いているだけでも楽しくなるような音楽。
ホルンとソプラノの掛け合いでは、ソプラノお得意のカデンツァが多く登場します。
愛するお菓子を食べられる喜びが、ソプラノの高い音でバッチリ表現されています。笑
Photo:Tatsuo Kiryu
今回はホルンの笠原さんのリサイタルにゲスト出演させていただいた私ですが、
はじめてお目にかかるお客様もいっぱい。
お客様が「楽しかったよ」とお声をかけてくださる瞬間は、
音楽家として頑張ってよかったと心から感じる瞬間です。
様々なコンサートで、様々な音楽に出逢いますが、
コンサート終わると、出逢った音楽に別れを告げるような気持ちになります。
長~い文を書いてしまった「ノクターン」ですが、もう歌う機会がないかもしれない
... と思うと、寂しくて堪らなくなるほどに好きになっていました。(笑;)
人間が生きている時間は、宇宙時間にして考えるならば微々たる時間だなぁ、
なんてたまにふと考えます。
音楽家(歌い手)をお仕事にしている私ですが、
一生の中で私が演奏できる曲はごく僅か。
我ながら良く演奏で来たな、と思えることもあれば、
忘れてしまいたくなるような演奏をしてしまうこともありながら ...
それでも自分が演奏した音楽は、とても愛しく感じます。
『出会いがあって別れがある。』 ・ ・ ・
友達であったり、恋愛出会ったり、時にそれは「生と死」であったり、
「出会いと別れ」 このテーマは、
生きることの喜びであり、生きる中で一番つらいことの一つのように想います。
けれど、その出会いは自分の人生の中に宿り、静かに残り、生き続ける ・・・
そう考えるなら、私が出逢った音楽は、きっと私の中で生きていてくれる!
そう信じてこれからも音楽を愛せたらいいなぁ☆ミ そう願います。
Photo:Akira Takenami
お忙しい中コンサートに足をお運びくださった皆さま、
ホールのスタッフの皆さま、
早くきてお手伝いをしてくれた戸塚佳江さん、
私を勇気づけて下さったピアニストの松山玲奈さん、
リサイタルにお呼び下さったホルンの笠原慶昌さんに
感謝をこめまして ・・・ ♪
Soprano♪中村初恵
(2009年11月18日) | Twitterでつぶやく |
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