アンサンブル「光のオルガン」
モーツァルト生誕250年記念チャリティコンサート
~2006.09.10(浦安市民文化会館)~
毎年教会でのチャリティコンサートを開催しているアンサンブル「光のオルガン」。
ロシア研修以前より演奏会に出演し、チャリティコンサートのお手伝いをして参りました。
ここで出会う皆さんは本当に温かい方ばかりで、私に沢山の元気を下さいます。
いつもはバッハを演奏されている「光のオルガン」ですが、今回はモーツァルト。
今回の公演も皆さまの応援と熱意の結晶!様々なハプニングの中、無事に演奏会を終えることできました。オーケストラの皆さんは、日本フィルハーモニーの主席ヴィオラ奏者の後藤悠仁さんと「光のオルガン」のコンミスでもある片見京子さんを迎えての「ヴァイオリンとヴィオラのための協奏曲」に加え、“オペラ<フィガロの結婚>ハイライト”を演奏!難しい内容のコンサートとなりました。
今回は...私が脚本や演出まで担当することなり、様々な面からチャリティーコンサートに参加させていただきました。コンサートの名前を「モーツァルトの休日」と題し、規模の大きなコンサートとなりました。少ない時間や材料での演出、台本作りに戸惑いながらも、キャストの方々にも恵まれ、公演当日はみんなの気持ちがひとつになれた様に感じられました。
今までの舞台でも感じたことではありましたが、舞台がいかに多くの人のエネルギーによって出来上がっていくのかということを改めて感じさせられました!
【指揮をされた直島淳太さんとキャストの皆さん】
<新しい発見、初めての試み>
今回の「フィガロの結婚」、初めてオペラを観る人にも解り易いものに、との視点から現代風に服装も思い切りモダンなものをキャストが各自持ち寄って使用しました♪
◆
スザンナ役の私も、とても思い切った衣装(詳細は【Album】コーナーをご覧下さい!)を身に着け、携帯電話やパソコンを使っての舞台演出となった。
さて、この「フィガロの結婚」の公演で面白い発見をし、私は脚本にその発見を付け加える試みをした。この歌劇、元はボ-マルシェが書いた「戯けた一日」を、モーツァルトが歌劇にしたものだ。
今回の公演で、司会進行をお願いした演劇役者の上世博及さんと打ち合わせをした時のこと...
彼が持ってきて下さった本(ボ-マルシェが書いた台本)を見ながら話をしていると、ボーマルシェが書いた台本には、「フィガロの結婚」には書かれていない、出演者各々の台詞がオペラではフィナーレを迎えた後に、更に書かれていることが判った。読んでみると、それはとても興味深く、この物語の意味を集約しているかのような面白い内容。
特に、この物語の要の役割となっている「スザンナ」が語る台詞は、判りやすく、この物語の真髄をズバリ語っている印象を受けた。上世さんからもアドバイスを頂き、私は脚本に、スザンナのその台詞を入れる事を決意☆...様々な意見がでることは承知の上だったのだが、やはり思い切って入れてみることにした。
単なる喜劇として通り過ぎてしまうこの物語の真意を、ズバリ台詞で伝えてみようと思ったのだ。ボ-マルシェが書いたこの台本、作曲したモーツァルトは当然知っていたはず。
オペラを作曲する際、オペラを「ハッピーエンド」の部分までとし、最後の重要な台詞集をあえてカットしたモーツァルト。
恋愛ドタバタ劇、貴族社会を風刺した軽めの恋愛喜劇と思えるが、そこには人間の矛盾、危うさ、馬鹿ばかしさ、些細な出来事に翻弄されて生きていく人間の姿、「だからこその人間の面白さ」が描かれているように思う。そして、それこそが私たち人間、そして、人間も自然の中で生かされているのだ、と台本では語られている。
モーツァルトがカットした理由はきっと色々あっただろう。音楽的配慮、商業的理由、風刺や喜劇的要素を強める意味合いもあったかもしれない。
けれど、もしかしたら、モーツァルトは真実を見抜ける者にだけ見てほしい、と最後に書かれているその台詞を導き出す役目を、私達聴衆に委ねたのかも知れない...。
そして、音楽が言葉以上に音楽で表現し得ること、音楽の持つその意味を理解していた大作曲家モーツァルトに、改めて出会えたような気がした。
そんな風に考えていたら、私はモーツァルトが何だかとても好きになった。
<スザンナの台詞>
もし陽気でふざけたこの劇に、何か教訓があるとすれば、
楽しい茶番のそのかげに、理性のこともお忘れなく、
こうして、賢い自然は、私達の欲望に時に快楽を与えながら、
その目的を達するのです。
◆
~ 当日支えて下さったスタッフの皆さま、「光のオルガン」の皆さま、キャストの皆さま、
誰より聴衆の皆さまに感謝をこめまして・・・
何よりこの公演での収益が、世界中の子供の未来につながる事を祈って ~
(2006年09月17日) | Twitterでつぶやく |
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